渋谷ではたらく社長のアメブロ

昨晩、西條君(専務取締役COO)に、

ロマネコンティをご馳走になりました。

「ロマネコンティじゃなくていいよ」

「おれんちにあるロマネコンティ飲もうよ」

と何度も言ってみたのですが、どうしても

ご馳走したい言って聞かないので、

西條君の行きつけのBARで戴くことにしました。

彼は私に借りがあると感じていたようですが、

借りがあるのはむしろ私のほうだと思ってます。


私と西條君は同級生の1973年生まれ。
このBARも偶然since1973のお店でした。

彼が入社してきたのはネットバブル真っ只中
の2000年3月です。
ヘッドハンター的な人に紹介されて、

増床したばかりでガラガラのオフィスで

最初から私が面接しました。

(早稲田大学卒、伊藤忠商事、26歳)

そう書いてあるレジュメを見ただけで、

「で、いつから来れるの?」

と私が言ったら、

「え?内定ですか?」

と驚いていました。
その後は、当時多くの若者が言っていたのと

同じように、将来起業するために勉強したい
というような話をしていました。

その頃の採用はそんな風に大企業出身者と
いうだけでいい加減に大量採用していたので、

多くの失敗をしました。

しかし、西條君はその後、彼だけでも十分に

お釣りがくるくらいの活躍をしてくれたのです。

彼が最初に新規事業として立ち上げた

メールインという子会社は約10億円で売却

できて、売却益を会社にもたらしました。

その後はゲーム事業、スポーツ、金融など、

次々にサイバーエージェントの新規分野を

開拓してくれました。

そして、役員に就任してからは、

経営陣の柱として数々の窮地を凌ぎ、

逆境の乗り越え、難局を打開して、

共にここまで会社を大きくしてきました。

西條君はCOOというポジションが意味する
ところとは違い、実際には、広告代理事業や

Amebaのような本流事業ではなく、

傍流とも言える事業分野を、私と役割分担
するような形で担当してくれてました。

2010年からは、家族ごとサンフランシスコ

に引越し、腰を据えて海外市場を開拓して

いました。

昨年秋、海外戦略の方向転換の必要性を

感じていた私は、西條君に、

「海外で粘っていたら活躍の幅が減るから

帰ってきてくれ」

そう強く勧めました。
ちょうどその時期と、CA8での役員入れ替え
のタイミングが重なり、
本人から、

「この機会に辞めて起業したい」

という申し入れがありました。

それは西條君のような会社の重要人物に
とって、ここしかないような会社を辞める

ことができるワンチャンスでした。

私は彼の将来起業したいという意向を

知りつつも、ずっと引き留めていたところも

あったので、了承するしかありませんでした。

本当に優秀な人は、辞め際が見事ですが、

それが一番難しいことなのです。

片腕を失った私は大きな損失ですが、

このタイミングなら、その分は他の役員や

社員が補ってくれると思います。
誰かが抜けた穴を全力で埋めようとする

のが当社の良さであり、層の厚さです。

もちろん西條君はそれも知っていました。

そして最後には、自分でゼロから立ち上げた

サイバーエージェントFXを売却 し、
210億円もの売却益を会社にもたらし

ましてもくれました。

そして、この3月末をもって、

サイバーエージェントを去ります。

独立しても、また何らかの形で関わりを
持つことになると思いますが、

サイバーエージェントの最大の功労者

のひとりである西條君の門出を、

心から応援したいと思います。

ご馳走になったロマネコンティ1982は、

別格の風格を漂わせながらも、

最後まで固く閉ざされていました。
それは、まだまだピークは先であり、
こんなところで達成感を感じていては

ダメだというメッセージだったのかも

知れません。

ネット業界としては珍しいほど経験十分

の40歳で起業する西條君の、

今後の活躍を期待しています。